東京佐川急便事件


東京佐川急便事件は、日本皇民党の「ほめ殺し事件」に端を発する汚職事件。

1992年10月、自由民主党経世会(のち平成研究会。竹下派)会長の金丸信が佐川急便側から5億円のヤミ献金を受領したとして衆議院議員辞職に追い込まれた。

1993年2月、衆院予算委で竹下登・元首相は、日本皇民党の「ほめ殺し」対策を話し合ったとされる会談について「渡辺(広康・東京佐川急便)元社長のワーディング(言葉遣い)は覚えていない」と証言。
具体的なやりとりは明かさなかった。

1986年、暴力団稲川会会長石井進(石井隆匡)は当初、住友銀行による平和相互銀行乗っ取りを阻止する側として動いていたが、岸信介元首相からの電話により寝返り乗っ取りに協力し、多額の報酬を手にし、岩間カントリークラブ開発の所有権を得た。東京佐川急便社長渡辺広康は石井にトラブルの処理を何度も頼んだことがあり、その謝礼として石井のゴルフ場開発会社の資金調達のための銀行融資のために数億円の債務保証をした。

1987年、自民党最大派閥の長であり、次期首相最有力候補の竹下登は、当時、東京では無名の右翼団体日本皇民党(稲川会系)による執拗な"ほめ殺し"攻撃を受けていた(皇民党事件)。恩義のあるはずの田中角栄を裏切って田中派から独立したことに対する攻撃であった。竹下は自らのコネを使って攻撃を止めさせようとしたが失敗した。右翼や暴力団との強いコネを持つ安倍派や中曽根派からは「右翼も処理できないとは、竹下は首相の器ではない」と批判されていた。これに対処するため、竹下は腹心の金丸信に相談。金丸は稲川会とのパイプがある渡辺に仲介を依頼。佐川急便がこれまでとんでもない労働法違反を繰り返しても罪にとわれず、配送区域も次々に認可を受けてスピーディに全国展開していたからくりには、自民党の議員へ多額の資金提供をする政界のタニマチとしての姿があった。その後、ホテルで竹下、金丸、渡辺、小沢一郎が善後策を協議したことが明らかになる。渡辺は石井に頼み、「竹下が田中角栄に謝罪をすればほめ殺しをやめる」と言う条件を日本皇民党から聞き出した。これを受けて竹下は田中邸を訪れ謝罪し、"ほめ殺し"攻撃は中止された。東京の高級料亭で金丸が石井に面会し感謝した。後に国会で金丸は「私が彼(石井進)と会ったのは感謝の気持ちからです。もちろん、よくないとはわかっていましたが、ともかくそうしたのです。」と証言した。

金丸と石井が会った数週間後の1987年11月、竹下は首相に就任。この成功により渡辺は日本のトップと強いコネクションができ、おおいに喜んだ。東京佐川急便はさらに石井と彼の岩間カントリークラブ以外に四方八方に作った会社にも次々と融資や巨額の債務保証を行うようになっていく。石井は経済ヤクザNo.1となる。

1990年1月から始まったバブルの崩壊により返済不能確実となった巨額負債のため東京佐川急便の幹部はパニックとなった。石井は利息の支払いも滞るようになった。東京佐川急便は詳細な返済計画を石井に求めたが、それに対し石井は返済するためには更なる資金が必要と説得。東京佐川急便はさらに債務保証をした。裁判所記録によると石井の子分が数週間おきに東京佐川急便を訪れ、保証を求めたことと東京佐川急便の幹部は石井の経歴を十分理解していたことが記録されている。東京佐川急便は倒産寸前となり親会社の佐川急便に吸収され、東京佐川急便の幹部は解雇された。検察により東京佐川急便の幹部は信託義務違反で起訴された。1991年9月、石井は病死した。1992年2月、東京地方検察庁特捜部は渡辺社長・早乙女潤常務ら4人を特別背任容疑で逮捕。数千億単位で資金が闇社会に流れ、東京地検も闇献金や不正融資などの追及を続けたが結局、東京佐川急便からの政治献金の中で5億円の授受をしていた金丸信が1992年9月28日に政治資金規正法違反で略式起訴されただけで、他の大物議員や闇資金ルートは解明されないまま事件は闇に葬られた。

このほか東京佐川急便から1億円を受け取っていた新潟県知事金子清が同年9月辞職。これより先の1992年2月、新潟県出身の日本社会党衆議院議員吉田和子のパーティー券を東京佐川急便が500万円分購入していたことが発覚し、ヤミ献金疑惑が浮上。吉田はすべての党役職を辞任。また同月、東京佐川急便から新潟県選出の日本社会党衆議院議員筒井信隆への献金が発覚。筒井もすべての党役職を辞任。更に1993年3月には多額の借入金など東京佐川急便との不明朗な関係が問題化していた日本社会党参議院議員安恒良一(比例代表)が同党規律委員会により除名処分。翌1993年4月には安恒の1億円以上の所得隠しが発覚、東京佐川急便からのヤミ献金との疑いが持たれた。

この事件は別の見方をすると、最初の10数年は同郷であった故佐川会長、東京佐川急便の故渡辺社長の結びつきがグループ成長の大きな原動力であったが、政治家との結びつきを利用し(偶然にも、田中角栄、佐川清、渡辺広康は同郷)力をつけてきた渡辺社長に危機を抱いた佐川が、渡辺の排除をねらい巧妙に仕掛けたワナであった。