ロッキード事件の経緯 その2

全日空にL-1011トライスターが納入された約2年後の
1976年2月4日に、アメリカ合衆国上院で行われた
多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)公聴会で、
大手航空機製造会社のロッキード社が、全日空をはじめとする
世界各国の航空会社にL-1011 トライスターを売り込むため、
同機の開発が行なわれていた1970年代初頭に各国の政府関係者に
巨額の賄賂をばら撒いていた事が明らかになった
(全日空への工作費は約30億円だったと言われる)。

また、この公聴会上では、1950年代後半に行なわれていた
同機の航空自衛隊への売り込みに際して、
1958年の時点で航空自衛隊がグラマン社のG-98J-11を
採用することがいったん決まっていたにも拘らず、
土壇場でロッキードのF-104を正式採用することになった件に
関しても、ロッキード社から児玉に対して多額の資金が
日本の政界への賄賂として渡されたことが併せて明らかにされている他、
トライスター機の導入とほぼ同時に進められていた
航空自衛隊の次期対潜哨戒機の選定に関しても、
当初は国産機の導入という方向で進められていたものの、
田中首相の判断により急遽ロッキード・P–3Cの導入が
決まったことが明らかになった。


丸紅本社さらにその後公聴会において、
ロッキード社のアーチボルド・カール・コーチャン副会長と
ジョン・ウイリアム・クラッター元東京駐在事務所代表が、
日本においてロッキード社の裏の代理人的役割をしていた
右翼の大物の児玉誉士夫に、1972年10月に
「(全日空にL-1011 トライスターを売り込むための)コンサルタント料」
として21億円あまりを渡し、さらにその後児玉から、
児玉の友人で国際興業社主で「政商」と呼ばれる小佐野賢治や、
ロッキードの日本における販売代理店である
総合商社の丸紅などを通じ、当時の首相である田中に対し
5億円が密かに渡されたことを証言した。

また、これに先立つ同年6月の時点からロッキード社から
児玉に対して資金が流れていることや、
この際に、ロッキード社や丸紅、全日空や児玉、小佐野のみならず、
過去にCIAと関係のあったといわれる日系アメリカ人のシグ片山が
経営するペーパー会社。さらに児玉の元通訳の福田太郎が
経営するPR会社などの複雑な経路を経て資金が
流れていたことがチャーチ委員会の調査によって明らかになっている。

さらに、1970年にマクドネル・ダグラスDC-10の採用
および発注を推進していた当時の大庭社長を追い落とすために、
「大庭社長がM資金関連の詐欺事件に巻き込まれた」
という趣旨の怪文書を児玉が傘下の総会屋を使って流したことや、
1972年には、当時社会的問題となっていた大阪の伊丹空港の
騒音問題に絡み、児玉の関連会社の手によって空港周辺の住人に対して
L-1011 トライスター機の騒音の低さを訴えたパンフレットが
数万部単位で配布されるなど、ロッキードからの資金を受けて
児玉が様々な方面からの活動を行なったことが
マスコミの調査によって明らかになった。