ロッキード事件の経緯

ロッキード事件の発端は、トライスターの販売不振から始まっているといわれている。

1970年11月に初飛行し、1972年4月に運行が開始された
L-1011 トライスターは、ロッキード社初のジェット旅客機として
同社の威信をかけて開発され、
中二階の客室、貨物室構造にエレベーターが設置された他、
自動操縦装置については軍用機のトップクラスメーカーとしての
ノウハウが生かされ、他に例がないほどの先進的なものが採用されるなど、
当時としては最新鋭の装備が施されていた。

しかし、ジェット旅客機メーカーとしての実績が先行していた
マクドネル・ダグラスのDC-10や、1970年に初就航し
既に多くの発注を受けていたボーイング747との間で
激しい販売競争にさらされ、
L-1011 トライスターはロールス・ロイス社によるエンジン「RB211」の開発が
遅れていたこともあり、日本においても既に全日空のライバルである
日本航空がマクドネル・ダグラスDC-10の大量発注を決めた他、
他国においても発注が伸び悩むなど販売面で苦戦していた。

このため、この様な状況を挽回すべくロッキード社が各国の政治家や
航空関係者に様々な働きかけを行なっていたのが、ロッキード事件の
発端となる背景である。

しかしその後、若狭社長によって急遽L-1011 トライスターを再度「次期大型旅客機」の選択肢に乗せることが提案され、その後若狭社長を中心に全日空社内で検討が進められた結果、マクドネル・ダグラスDC-10の正式発注が土壇場で覆され、10月30日に若狭社長自らの手によって、同社がL-1011トライスターを発注したことが発表された。

また、この発注に先立つ1972年9月1日にハワイのホノルルで行なわれた田中首相とアメリカのリチャード・ニクソン大統領との首脳会談において、カリフォルニア州選出で地元のバーバンクにロッキード社の本拠地を抱えるニクソン大統領より、田中首相に対して全日空へのL-1011 トライスター機の購入を働きかけたという噂が上がった。なおこの際に田中首相は小佐野が所有するホテルに宿泊している。

その上、同月に東京で行われた日英首脳会談でも、イギリスのエドワード・ヒース首相が田中首相に対して、イギリスのロールス・ロイス社製ジェットエンジンを搭載したL-1011 トライスター機の購入を強力に働きかけていたことが、2006年に公開されたイギリス政府の機密文書で明らかになった(なお、ライバルのマクドネル・ダグラスDC-10にはロールス・ロイス社製のジェットエンジンは搭載できない)。