ロッキード事件の背景

ロッキード事件の経緯
ロッキード事件の発端は、トライスターの販売不振から始まっているといわれている。 1970年11月に初飛行し、1972年4月に運行が開始された L-1011 トライスターは、ロッキード社初のジェット旅客機として 同社の威信をかけて開発され、 中二階の客室、貨物室構造にエレベーターが設置された他、 自動操縦装置については軍用機のトップクラスメーカーとしての ノウハウが生かされ、他に例がないほどの先進的なものが採用されるなど、 当時としては最新鋭の装備が施されていた。 しかし、ジェット旅客機メーカーとしての実績が先行していた マクドネル・ダグラスのDC-10や、1970年に初就航し 既に多くの発注を受けていたボーイング747との間で 激しい販売競争にさらされ、 L-1011 トライスターはロールス・ロイス社によるエンジン「RB211」の開発が 遅れていたこともあり、日本においても既に全日空のライバルである 日本航空がマクドネル・ダグラスDC-10の大量発注を決めた他、 他国においても発注が伸び悩むなど販売面で苦戦していた。

ロッキード事件の経緯 その2
全日空にL-1011トライスターが納入された約2年後の 1976年2月4日に、アメリカ合衆国上院で行われた 多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)公聴会で、 大手航空機製造会社のロッキード社が、全日空をはじめとする 世界各国の航空会社にL-1011 トライスターを売り込むため、 同機の開発が行なわれていた1970年代初頭に各国の政府関係者に 巨額の賄賂をばら撒いていた事が明らかになった (全日空への工作費は約30億円だったと言われる)。 また、この公聴会上では、1950年代後半に行なわれていた 同機の航空自衛隊への売り込みに際して、 1958年の時点で航空自衛隊がグラマン社のG-98J-11を 採用することがいったん決まっていたにも拘らず、 土壇場でロッキードのF-104を正式採用することになった件に 関しても、ロッキード社から児玉に対して多額の資金が 日本の政界への賄賂として渡されたことが併せて明らかにされている他、 トライスター機の導入とほぼ同時に進められていた 航空自衛隊の次期対潜哨戒機の選定に関しても、 当初は国産機の導入という方向で進められていたものの、 田中首相の判断により急遽ロッキード・P–3Cの導入が 決まったことが明らかになった。