ロッキード事件に関連する人物たち

小佐野賢治
小佐野 賢治(おさの けんじ、1917年2月15日 - 1986年10月27日)は、 国際興業バスで有名な国際興業創業者。 「昭和の政商」「死の商人」と呼ばれ、田中角栄からは「刎頸の友」と呼ばれた。 若くして前頭髪が殆ど抜け落ちていたこともあり、20歳代で50歳代に間違われるほど老けて見えたという。 学歴こそ無いものの物静かで物腰の軟らかい紳士であり、滅多に感情を表さなかったといわれる。 1976年、ロッキード事件により衆議院予算委員会にて証人喚問されたとき、ここで小佐野が何度も口にした「記憶にございません」は、この年の流行語となった。

田中角栄
田中 角榮(たなか かくえい、1918年5月4日 - 1993年12月16日)は、日本の政治家。 元衆議院議員(16期)、内閣総理大臣(第64代、第65代)。 新潟県刈羽郡二田村大字坂田(現・柏崎市)に、父・田中角次、母・フメの二男として生まれる。田中家は農家だが、父・角次は牛馬商、祖父・捨吉は農業の傍ら宮大工を業としていた。 角栄の幼少年時代には家産が傾き極貧下の生活を余儀なくされる。 幼いころ吃音があり、浪花節を練習して矯正した。 1933年二田高等小学校卒業。 田中自身は、「中央工学校卒」と明記していたが、世間は勝手に高等小学校卒だと誤解し続けた。

児玉誉士夫
児玉 誉士夫(こだま よしお、1911年2月18日 - 1984年1月17日)は、 日本の右翼運動家で、A級戦犯に指名されたが後に釈放。 後にはロッキード事件の被告となる。 一般に右翼の大物、黒幕として知られ、「政財界の黒幕」、「フィクサー」と呼ばれた。 児玉誉士夫は、1911年に福島県安達郡本宮町(現本宮市)の没落した士族(旧二本松藩士)の家に生まれた。1920年8歳の時に朝鮮に住む親戚の家に預けられ、京城商業専門学校を卒業した後(なお、その後日本大学皇道科を卒業したということになっている)、工場の単純労働者として辛酸を舐めた。

檜山廣
檜山 廣(ひやま ひろ、1909年12月18日 - 2000年12月25日)は日本の実業家。 丸紅中興の祖。 ロッキード事件の中心的人物の1人である。 茨城県生まれ。旧制水戸中学校を経て、1932年東京商科大学(現一橋大学)卒。 1932年大同貿易入社、1952年丸紅飯田(現丸紅)取締役、同常務、専務、副社長を経て、1964年同社長、1975年丸紅会長、1976年同取締役相談役。 ロッキード事件に関する贈賄罪のため1995年最高裁判所で実刑確定も、高齢のため執行停止となり、収監されないまま2000年死去。 この間も1985年から1999年まで丸紅名誉顧問を務めた。

若狭得治
若狭 得治(わかさ とくじ、1914年(大正3年)11月19日 - 平成17年(2005年)12月27日)は、日本の運輸官僚、実業家。 富山県出身。砺波中学、旧制富山高校などを経て、昭和13年(1938年)東京帝国大学法学部を卒業する。逓信省に入省する。戦後、運輸省に移る。海運局長時代には、海運会社を6社に統合し海運業界の体質強化を図った。運輸事務次官で退官。 昭和51年(1976年)に新型ジェット旅客機の選定をめぐり、ロッキード事件が発覚し、若狭は全日空ルートの贈賄側とみなされる。時効のため、贈賄罪での起訴は見送られたものの、外国為替管理法(外為法)、議院証言法違反により、逮捕起訴された。同年全日空会長に就任するが、これは、刑事被告人の立場であるにもかかわらずということから批判された。平成3年(1991年)同社名誉会長に就任。

橋本登美三郎
橋本 登美三郎(はしもと とみさぶろう、1901年3月5日 - 1990年1月19日)は、茨城県行方郡潮来町(現潮来市)出身の政治家。 元朝日新聞社東亜部長、終戦の年に退社し、戦後は自由民主党衆議院議員。 自民党幹事長、建設大臣、運輸大臣などを務めた。
1976年8月21日、ロッキード事件の全日空ルートで運輸大臣在任中に便宜を図った謝礼として500万円を受け取ったとされ、東京地検特捜部に受託収賄容疑で逮捕された。 自民党を離党し、1980年に落選して政界から引退。 その選挙地盤と票田は額賀福志郎に引き継がれた。 1990年1月19日死去。享年88。

神谷 尚男
神谷 尚男(かみや ひさお、1914年4月17日 - )は、日本の検察官。 元検事総長、弁護士。岩手県出身。 ロッキード事件の時の東京高等検察庁検事長。 盛岡中学、旧制静岡高等学校、1937年東京帝国大学法学部卒業。 法務省人事課長、東京地方検察庁検事正、法務事務次官を歴任。 ロッキード事件では東京高検検事長として検察首脳会議に参加し、 布施健検事総長と共に事件の積極的な解明を主張した。 1977年布施の後任として検事総長に就任。 1979年に退官し、帝京大学教授、弁護士に。

フランク・チャーチ
フランク・フォレスター・チャーチ3世(Frank Forrester Church III、1924年7月25日 – 1984年4月7日)は、アメリカ合衆国の弁護士、政治家。アイダホ州選出の民主党上院議員。 日本では、ロッキード事件の引き金役となったアメリカ上院外交委員会多国籍企業小委員会(通称、チャーチ委員会)委員長として知られる。 ロッキード事件関連では、チャーチ委員会にロッキード社のカール・コーチャン副社長を喚問し、厳しく追及し、日本政府高官に対するトライスター機売り込みに関する情報を聞き出した。 1984年1月すい臓がんのため入院し、同年4月7日メリーランド州ベセスダの自宅で死去。59歳。