なぜ政治家は「記憶にございません」と言うのか?

ロッキード事件や旧橋本派のヤミ献金事件などの証人喚問で連発された「記憶にございません」。
なぜ政治家は「記憶にございません」を連発するのか?
「記憶にございません」発言を解明する。

有名な「記憶にございません」証言

ロッキード事件
ロッキード事件とは、アメリカの航空機製造大手のロッキード社による、主に同社の旅客機の受注をめぐって1976年2月に明るみに出た世界的な大規模汚職事件。 衆院予算委で、小佐野賢治・国際興業社主が、ロッキード社幹部との関係について、「記憶にございません」「知りません」を連発し、「記憶にございません」が流行語となる。

ダグラス・グラマン事件
ダグラス・グラマン事件とは、1978年2月に明るみに出た日米間の航空機(戦闘機)購入に絡んだ汚職事件。 1979年5月、参院特別委で、松野頼三・元防衛庁長官が、日商岩井からの5億円受領を「金の性格は政治献金。いくらもらったのかも正確に覚えていない」と証言。 戦闘機売り込みの工作資金との疑惑を否定した。

東京佐川急便事件
東京佐川急便事件は、日本皇民党の「ほめ殺し事件」に端を発する汚職事件。 1992年10月、自由民主党経世会会長の金丸信が佐川急便側から5億円のヤミ献金を受領したとして衆議院議員辞職に追い込まれた。 1993年2月、衆院予算委で竹下登・元首相は、日本皇民党の「ほめ殺し」対策を話し合ったとされる会談について「渡辺(広康・東京佐川急便)元社長のワーディング(言葉遣い)は覚えていない」と証言。具体的なやりとりは明かさなかった。

日歯連闇献金事件
日歯連闇献金事件とは、2004年7月に発覚した旧橋本派の1億円ヤミ献金事件。橋本と青木幹雄・野中広務が日歯連会長理事(当時)と料亭で会食した際、1億円の小切手を受領したが、この献金について収支報告書に記載しなかったというもの。 2005年10月、東京地裁の公判で証人に立った橋本元首相は、連盟側からの1億円受領について、「記憶にございませんが、ほかの方々がそう言っているのであれば、そういう事実があったかもしれないと今考えます」と証言。

「記憶にございません」はいつから使われているか

「記憶にない」と証言するのは、アメリカが本場である。

"I don't have any recollrection about that"という言い方は、アメリカでは議会の証人喚問のほか、偽証罪に問われるリスクがある刑事裁判や民事裁判でよく使われている。

日本で最初に「記憶にございません」を公の場で発言したのは、1976年2月の衆院予算委で、ロッキード社幹部との関係について、「記憶にございません」「知りません」を連発した小佐野賢治・国際興業社主と言われている。

その後、日本でも証人喚問などの場で、偽証罪をかわす狙いで多くの政治家が、都合の悪い質問には「記憶にございません」とかわすことが目立つようになった。

ロッキード事件の概要
ロッキード事件は、国内航空大手の全日空の新ワイドボディ旅客機導入選定に絡み、自由民主党衆議院議員で(当時)前内閣総理大臣の田中角栄が、1976年7月27日に受託収賄と外国為替・外国貿易管理法違反の疑いで逮捕されたという前代未聞の事件である。 政治家では田中前首相の他にも、佐藤孝行運輸政務次官(逮捕当時)や 橋本登美三郎元運輸大臣が逮捕された他、 全日空の若狭得治社長やロッキードの販売代理店の丸紅の役員と社員、 行動派右翼の大物と呼ばれ、CIAと深い関係にあった児玉誉士夫や、 児玉の友人で「政商」と呼ばれた小佐野賢治が逮捕され、 関係者の中から多数の不審死者を出すなど、第二次世界大戦後の疑獄事件を代表する大事件となったものである。

ロッキード事件の証人喚問
ロッキード事件の証人喚問は、チャーチ委員会での証言内容を受けて、 検察などの本格的捜査の開始に先立つ1976年2月16日から数回に渡って行われた。 衆議院予算委員会には、事件関係者として小佐野賢治や 全日空の若狭社長や渡辺副社長、大庭元社長、 檜山廣丸紅会長や大久保利春専務、 ロッキード社の鬼俊良日本支社支配人などが証人喚問され (なお「病床」にあった児玉誉士夫は病院で臨床取調べを受けた)、 この模様は全国にテレビ中継された。

ロッキード事件の捜査について
三木武夫首相はチャーチ委員会での証言内容と世論の 沸騰を受けて捜査の開始を指示し、 同時にアメリカのジェラルド・フォード大統領に対して 捜査への協力を正式に要請するなど、事件の捜査に 対して異例とも言える積極的な関与を行った。 また、三木首相直々による捜査開始の指示を受けて、 2月18日には最高検察庁、東京高等検察庁、 東京地方検察庁による初の検察首脳会議が開かれ、 同月24日には検察庁と警視庁、国税庁による 合同捜査態勢が敷かれた。 捜査を指揮した伊藤栄樹東京地方検察庁検事(のち検事総長) の証人喚問での答弁 「まず初めに“5億円ありき”とご承知願いたい」は有名になった。

ロッキード事件裁判について
衆議院予算委員会における数度に渡る証人喚問や、5月14日に衆議院で、同19日に参議院に設置された「ロッキード問題に関する特別委員会」などにおいて、これらの証人による証言の裏付け作業が進んだ上、検察などによる捜査が急激なペースで進んだ結果、事件の発覚から半年にも満たない7月から8月にかけて田中前首相や檜山、若狭などの多くの関係者が相次いで逮捕され、東京地方裁判所に起訴された。 田中前首相は、1976年(昭和51年)7月27日に逮捕されたのち、8月16日に東京地検特捜部に受託収賄と外為法違反容疑で起訴され、その翌日に保釈保証金を納付し保釈された。田中前首相に対する公判は1977年(昭和52年)1月27日に東京地方裁判所で開始され、日本国内はおろか世界各国から大きな注目を集めることになった。その後1983年(昭和58年)10月12日には懲役4年、追徴金5億円の有罪判決が下った(5日後に保釈保証金2億円を納付し再度保釈)。この第一審判決を受けて国会が紛糾し、衆議院解散のきっかけとなった(田中判決解散)。 田中前首相はこれに対して「判決は極めて遺憾。生ある限り国会議員として職務を遂行する」と発言し控訴したが、1987年(昭和62年)7月29日に控訴棄却、上告審の最中の1993年(平成5年)12月16日の田中の死により公訴棄却(審理の打ち切り)となった。

ロッキード事件その後
全日空が発注したDC-10 全日空が発注キャンセルしたものの、既に製造中であったマクドネル・ダグラスDC-10は3機あったが、マクドネル・ダグラス社は売れ残った他の機体と共に各国の航空会社にダンピング販売した。そのうちの1機がトルコ航空に販売され、のちに1974年にトルコ航空DC-10パリ墜落事故を引き起こした(この事故の原因はマクドネル・ダグラスDC-10の設計上の問題であった)。
全日空はL-1011 トライスターを事件発覚前の1974年から導入し、事件が明らかになった後も導入を続けて最盛期には21機保有した。全日空は同機を国内線の主要機種として、また1986年に初就航した国際線の主要機種として使用したものの、より大型なボーイング747の導入やより燃費効率に優れるボーイング767の導入を受けて、奇しくも田中角栄元首相の死去と時を同じく1995年を最後に全機退役させた。運行中に人身事故や全損事故を起こしていない全日空にとって稀有な機種のひとつでもある。